のびた人インタビュー

出産で心身が大きく変わる人にとって、 安心できる存在でいたい。──みきかよこさんインタビューvol.2

助産師であり、お母さんのみきかよこさん。前回に続く2回目のインタビューでは、助産師の仕事に就いたきっかけから、ツアーコンダクターの話、雑誌(zine)を作った経緯など、仕事の話を中心にお話を伺いました。その記録をご紹介します。

 

 

大学の就活を辞めて、助産師学校を受験

 

 

──仕事について教えてください。助産師になったきっかけは?

 

大学の就職活動中、聖路加国際病院の産科病棟でインターンをしたとき、目の前で見た助産師の仕事にすごく興味を持ちました。

 

まわりの人に「資格を取るなら今だよ」とアドバイスをもらって、父に「助産師学校に通わせてください」と頼み込んで、就職活動を辞めて助産師学校を受験しました。

 

大学卒業後は1年間、東ヶ丘看護助産学校に通って助産師の資格を取り、国立成育医療研究センターの産科病棟で働いていました。

 

mikisan-002

 

──そこではどんな仕事をしていたのですか?

 

産科病棟で出産分娩・産褥・新生児と外来を担当していました。

 

でも、2年半くらいで身体を壊してしまって退職しました。その後は別の病院で看護師をしたり、派遣社員として製薬会社の仕事をしたり、絵を描くことが好きだったので、美術学校のセツ・モードセミナーにも1年半ほど通っていました。

 

それから、国立成育医療研究センターの研究室に入職して、産後うつなど調査補助の仕事をしていました。

 

そこでは、お母さんたちに調査協力してもらうためのイラスト入りポスターとチラシ作り、iPadやネットを使った質問票の作成や記録表の整理などをしていました。その後、ツアーコンダクター(=ツアコン)の勉強をして、旅行代理店に就職しました。

 

──ツアーコンダクターはそれまでの流れとは違いますね。

 

助産師を辞めたとき、「自分に合った仕事って何だろう」と深く考えるようになったんです。もともと昔から人と関わる仕事に興味を持っていて、大学も看護科へ進学したけど、やりたかった助産師の仕事ができなくなってしまった。悩みましたね。

 

そのとき、友人が「1対1より1対大勢の方が向いてるんじゃない?」と言ってくれたことで、自分でも「人がいかにその人らしく過ごせるかを追求するという意味なら、ツアコンの仕事も同じかもしれない」と思えるようになって。その後、2013年秋に研修入りして、2014年にデビューしました。

 

でも、これも半年後に妊娠がわかって、業務に支障が出る前に辞めました。

 

mikisan-022

 

──ツアコンとして働いた期間は短かったんですね。その間に何か得たものはありますか?

 

中国に2回行ったほか、はとバスにも乗りました。それが、海外ツアーの成績がすごくよかったんです。ツアー終了後、お客さまに配るアンケートにツアーコンダクターを5段階で評価する欄があるんですけど、わたしはほぼオール「5」だったんです。参加者は20人~40人で「4」は1人か2人。

 

旅慣れているお客さまが多くて、こういった評価もシビアなんですね。だから、これほどの高評価はなかなかもらえないんです。すごくうれしかったですね。

 

──すごいですね。アンケートには何かコメントが書かれていました?

 

「一生懸命やってくれた」とか、ハプニングが多くて土砂崩れで危うく車中泊になってしまったときとかは、「ずっと笑顔でいてくれて安心できました」など書いてくださっていました。よかったなあと思って。

 

 

自分の好きなことを、自由に表現している大人がいる。

 

 

──助産師のための雑誌(zine)『トラウベ』を作ったきっかけは?

 

最初に影響を受けたのが『マーマーマガジン』(エムエム・ブックス刊)という雑誌で、初めて見たとき、「自分の好きなことを自由に表現している大人がいる」って思いました。

 

そうしたらその後、編集長の服部みれいさんが講師のワークショップ「わたしらしい仕事・わたしらしい働き方」を見つけたんです。そこには、いろいろな職業の人たちが参加していました。服部編集長や参加者の人たちと話すこともできて、気持ちがすごく楽になりました。急がなくてもいいかなって。

 

その後、続けて「編集ゼミ」というワークショップ(こちらも講師は服部みれいさん)に参加しました。そのとき、「自分でも小さな雑誌を出してみよう」と作ることを決めて、企画から取材、イラスト、編集までひとりで作りました。

 

──拝読しました。出産の映画のコラムやおすすめ本の紹介、東日本大震災について助産師さんたちが語る座談会や体験談など、ほかにはないような企画が盛り込まれていて純粋におもしろかったです。

 

この雑誌は助産師を辞めてから作ったんですけど、そのときは助産の現場に立てないことがさびしくて悔しくて。

 

作り始めてからは、これまでの仕事と照らし合わせて、やっぱり助産師の仕事はとても大事だし必要だなと感じました。

 

だから、この雑誌をきっかけに、助産師さん同士がつながりあえるような、助産師さんたちに元気になってもらえるようなことができればいいなあ、雑談に使ってもらえたらいいなあと思って、専門知識以外のネタに絞りました。

 

1号には、なぜかだんごむしのコラムも入ったりしているんですけどね(笑)。

 

2013年に創刊した雑誌(zine)『トラウベ』。0号では、ドキュメンタリー映画『出産の自由を求めて(原題:Freedom for Birth)』を取り上げ、監督トニ・ハーマンさんのインタビュー記事ほか、同映画の翻訳を担当した助産師・研究者の岸利江子さんも寄稿。1号には、疫学者・作家の三砂ちづるさんが読者の質問に答えるコラムも。公式サイト: http://traubemagazine.com/

 

──ワークショップもされていますね。

 

はい。「おっぱいと星(心と体の女性性)」という名前で、友人で占星術師のほともこさんとタッグを組んで2013年から行っています(現在は育休中)。女性性、男性性について、「いったい何?」というところから好き勝手に語りながら、深く掘り下げようというワークショップで、ほともこさんは星の解釈について、わたしは身体のことをガッツリ話します。

 

oppaitohoshi

「おっぱいと星」での様子。

 

──参加者にはどうなってもらいたいですか?

 

外からの情報に頼るのではなく、自分で自分の身体を知ってもらえたらいいですね。

 

特に出産は人によって違うし、毎回異なる。その度に身体も心も大きく変化します。初産を迎える女性にとっては、突然、赤ちゃんのお母さんになると同時に、まわりの人間関係も変わる、人生でも本当に大きなライフイベントです。

 

当たり前だけど、出産した赤ちゃんはもうお腹に戻せない。待ったなしです。子育ての経験も、子守りの経験もないとなおさら、それまでの生活との変化にとまどうことも多い。

 

そんなセンシティブな時期の女性にとって、まわりにいる人、なかでも助産師は本人や家族にとって安心できる存在でありたいと思っています。

 

mikisan-018

 

じゃあ、「お母さんって何?」って話になるかもしれないですけど、わたしは助産師としても自分としても、人によってそれは異なると思っています。母親だから、お母さんだから、ママだからと先入観を持たないようにしています。

 

また、助産師として気になるのは、少子化にともなって助産師自体の人数が減っていること。産科病棟もどんどん閉鎖されていますし。

 

一方で、妊産婦一人ひとりの事情が複雑化し、助産師のやるべきケアは増えていると感じています。お産に寄り添う助産師の仕事はハードで、助産師自身が出産後、続けたくても続けられない人も多い。このあたりが何とかなればいいのにと思います。

 

 

女性が、自分の身体と仲良くできるような活動をしたい。

 

 

──これからやっていきたいことは?

 

女性自身が自分の身体について知り、自分の言葉で語っていける機会を増やせたらと思っています。

 

お産って、身体を使う楽しさだったり、厳しさだったり、すごく個人的な体験になります。人生にもインパクトがあるけれど、結局は自分なんですよね。お母さん一人ひとりが自分の身体と向き合う必要があって、助産師はそれを助ける仕事なんだと思います。

 

わたしの場合、助産師の現場は体力的に難しい面もあるのですが、本当は求められればどんな仕事でもしたいです。働けるってすてきですよね!

 

──では、プライベートでやりたいことがあれば教えてください。

 

子育てを楽しみたいですね。あとはわたし自身、体調を崩しやすいのもあって、毎日をご機嫌に過ごすことがいかに難しいかをイヤと言うほど実感してきたので、とにかく「寝て食べる!そして動く!」ことを続けていきたいです。

 

mikisan-006

 

──ご自身のこれまでを振り返って、ほかに気づいたことがあれば教えてください。

 

同じことに興味を持つ人は、同じところに集まるなと思っています。

 

たとえば大学時代はエイズ予防啓発のNPO法人で活動していたのですが、その学会にお呼びした講師の先生が、助産師学校でお世話になった先生だったことがありました。そのほか、興味があることをグーッと見ていくと、会いたいと思う人と会えることが多いみたいです。

 

それと、こどもの頃は、できないことに対して「できな〜い!」と落ち込んだりもしましたが、大人になってもできないことがあることを発見しました。

 

──たとえば?

 

引き出しを開けたら閉めるとか(笑)。でも、「できないことはできない」って認識していれば、自分一人で解決しなくても助けてくれる人がいることもわかりました。

助けてもらうには、「一日の最後に見まわしてみよう」とか「必要なときに、できないことについて周囲の人に伝えよう」とか自分でまず、やってみることを大切にしています。

今好きなことは、好きでいていいって思います。将来のことを考えて何かをあきらめるよりも、そのときに好きなものを大事にしてもいいのかなって。

 

mikisan-055

夫でイラストレーター・絵本作家の中垣ゆたかさん、お子さんと中垣さんの個展会場で。

 

mikisan-051

 

──たしかに、かよこさんが今まで好きでやってきたことは全部役に立っていますね。

 

どんなことでもやらなきゃわからないなあって思います。

60歳くらいに全部つながればいいかなと。

 

──大局を見る人なんですね! まだ30歳になったばかりなのに、60歳なんて!

 

わたし、早くおばあちゃんになりたいんですよ(笑)。

60歳って、ゆっくり物事を見られる年齢なのかなって思うんです。

 

mikisan-043

育児中の今は、在宅でできるデザインの仕事を無理のないペースで行っているそう。中垣ゆたかさんのオフィシャルグッズ(写真)、友人で占星術師ほともこさんの名刺、カードなどを作っている。

 

mikisan-063

 

撮影:モギヨシコ インタビュアー:田畑千絵 文・編集:たかなしまき

 

 

Profile

みきかよこ

助産師。1985年東京都出身。2007年、慶應義塾大学看護医療学部卒業。翌年、東ヶ丘看護助産学校にて助産師の資格を取得後、修了。その後は、国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)の産科病棟に助産師として約2年間勤務。退職後はツアーコンダクターとして半年間勤務した後、2015年2月に長女出産。現在は、占星術師ほともこさんと活動しているワークショップ「おっぱいと星」ほか、夫であるパンクイラストレーター・絵本作家、中垣ゆたかさんの個展ポスターデザインなどを行う。看護師、保健師の資格ももつ。

 

 

 

 

 

Posted in のびた人インタビュー | Comments Closed

Related Posts