のびた人インタビュー
肩書きは「お母さん」。今好きなことを大事にしたい。──みきかよこさんインタビューvol.1
助産師、ツアーコンダクター、デザイナー……。さまざまなスキルを持つ みきかよこさん。こどもの頃は子守りが得意だったというみきさんは、海外での学生生活、大学時代、そして就職するまで「けっこう行き当たりばったりだった」と振り返ります。それぞれの転機、また影響を受けたという両親の話を伺いました。インタビュアーは、プライベートでみきさんご夫婦ととても仲のいい、フリー編集ライターの田畑千絵さんです。
赤ちゃんの寝かしつけが近所で一番早いと思ってた。
──たくさん肩書きをお持ちですが、メインのものを教えてください。
しっくりくるのは助産師ですね。でも今は仕事を休んでいるので、お母さんでしょうか。
産後2カ月頃から、助産院で母乳相談を手伝っていたんですけど、「こどもの成長をそばで楽しみたい」という思いが強くなって。普段は、自分の興味のあるところに娘を連れて行っています。反応を見るのがおもしろいですね。
──育児を楽しんでいるようですが、もともとこどもは好きだったんですか?
はい。4人姉弟の長女なんです。姉弟の中では一番まぬけキャラというか、妹たちがすごくしっかりしていた分、頼りなかったと思います。よくポーッとしていました。
──何か得意なことはありましたか?
子守りですね。赤ちゃんを早く寝かしつけられるのが自慢でした。
1歳から10歳まで団地に住んでいたんですけど、近所ではわたしが一番年上で、よその子ともよく遊んでいました。近所のお母さんたちはよく、買い物に行く前に「こどもをみてほしいんだけど、かよちゃんいる?」って、うちをのぞいたりしていましたね(笑)。

2歳下に妹と。「その下に弟がいて、一番下の弟とは7歳違います」(みきさん)

小学3年のみきさん。「この頃が一番しっかりしていました。子守りは自主的にやっていたと思います。すごくかわいかったから」
──本も好きだったとか。当時のお気に入りは?
母に読んでもらった本を弟たちによく読み聞かせていたのですが、絵本の中では、『すてきな三人組』(トミー・アンゲラー作・絵/今井祥智 訳/偕成社)や『寝ない子だれだ』(せなけいこ作・絵/福音館書店)が多かったですね。それと個人的には、『わたしのワンピース』(西巻茅子 絵・文/こぐま社)がお気に入りでした。

小学低学年の頃に書いた「夏休みの友」。
父との思い出は、誰もいない会社にもぐり込んだこと。
──お父さんとの思い出は何かありますか?
父は日本郵船という会社に勤めていたんですけど、仕事で帰りが遅かったから、土日にいろいろな公園に連れて行ってもらっていました。
わたしは休日、誰もいない会社で過ごすのがすごく好きで。社員専用口から入るときにちょっとドキドキしたりして。父に「これはえらい人の椅子だけど、座ってみてもいいよ」とか言われたりして(笑)。
──アメリカに住んでいた時期もありましたよね。
10歳から14歳のときまで(’95年~’99年)、父の転勤でアトランタに。平日は現地校に、土曜日は日本語学校に通っていました。妹弟もみんな。
──現地校の同学年で日本人はかよこさん一人だったとか。言葉や文化の壁などで苦労したことは?
最初、英語ができないことでクラスメイトからいろいろ言われて、むかっとしたことがありました。悔しくて言い返したいと思った。
「わたしは何もわかってないと思ってるかもしれないけど、わかってるんだぞ」って。言葉にはしなくても、今に見てろって。それから目に入るもの、耳に入るものへの興味が一気に広がって、言葉の吸収力もついたと思います。それと勉強とはまた別ですが。週1回の単語のテストではしょっちゅうカンニングしてましたね。ダメだと思うんですけど(笑)。

バレーボールチームではキャプテンを務めた。「誰よりも練習をがんばりました。言葉と行動がともなわないと意味がないと思ったんです」(写真は、真ん中の列の右から2番目がみきさん。14歳の時)

バレーボールチームではMVPにも選ばれた。

バレーボールと同時にマーチングバンドでもがんばった。(下から4列目の左から2番目がみきさん)
──中学3年生の3学期に帰国されたんですよね。ちょうど高校受験と重なって大変だったのでは?
わたしは受験をする実感はなかったんですけど、妹と一緒にアメリカで家庭教師をつけてもらったり、日本語の塾に通ったりしていました。それは結構イヤでしたね。なぜやっているのかわからなくて。
アメリカは高校まで義務教育なんです。だから、「なぜ、わたしだけ!?」と思っていました。結局、高校は慶應義塾湘南藤沢高等部に入学しました。部活は吹奏楽部でチューバを吹いていました。
大学時代、母に一度、ブチ切れました。
──学生時代で何か影響を受けたことはありますか?
大学3年生のとき、キャンパスが神奈川県藤沢市から大学病院のある東京都内に移ったんですけど、いきなり授業中に動けなくなったんです。軽いうつみたいになってしまって。いろいろ検査をしたんですけど、ほかには特になくって。
一学年100人くらいがぎりぎり入るような狭い教室で、閉鎖的な環境でルーチン作業をするのが身体に合わなかったみたいです。
──繊細な性格なのかもしれないですね。
そうかもしれないですね。何かあると、いつも身体が先に教えてくれます。実は、ちっちゃい頃から吐きやすくって。体調が悪くなって、いろいろできないという時期がありました。遠足とか。大学に進学したときもそうでした。体質的なものだと思います。
──そうなんですね。授業中、かたまったときはどうしたのですか?
大学の隣の病院で、カウンセラーや心理療法士など、専門職の先生方と話をするうちに気持ちが落ち着きました。そんなことがあって、3年生の春学期(2学期制)はほぼ大学に行きませんでした。でも期末のテストだけ受けたら進級できちゃって。「わたし、頭いいのかな」って勘違いしちゃいました(笑)。
──すごいですね! でも春学期、学校に行かない間はどうしていたんですか?
実家でだらだらしていると母に怒られるので、とりあえずさまようという(笑)。
──あっはっは! 映画を観に行ったりとか?
いえ、そこまでお金がなかったので、図書館に行ったり、いつも行かないキャンパスの建物の隅でじっとしていたり……(笑)。
──お母さんは、学校に行ってなかったこと知ってた?
いやあ、わからないです。たぶん知らなかった。実はその頃、母にブチ切れたことがあって。すべてうまくいかず、体調も悪くて、「すべてのネックは母だ〜!」と。いろいろキャパオーバーしたみたいで。
当時、弟たちの保護者面談とか授業参観とか、わたしと妹とで行くことが多くて。そのときは楽しかったけど、今考えると、あれはわたしの仕事じゃなかったなって。母はケロっとしていましたけど。ほかにもいろいろあって。
──お母さん、専業主婦だったんですよね?(カメラマン・モギ)
はい。両親から頼られること自体はうれしかったんですけど。
あと、これは小学3年生~小学4年生のときなんですけど、家にモンテッソーリの育児書『ママ、ひとりでするのを伝ってね』(相良敦子著/講談社)があったんですね。わたしは、タイトルや中身を見ながら、「なんでお母さんはこの本を持ってるのに、こういうふうに育ててくれなかったんだろう」って思っていました。わたしのことも手伝ってほしいって。
──なぜお母さんはモンテッソーリの本を持っていたんでしょうね?
たぶん、子どもの教育にはいろいろ考えがあったみたいです。幼稚園もモンテッソーリのプログラムがあるキリスト教系のところでした。一番下の弟はアメリカの幼稚園だったんですけど。
──お母さんの考えがあった。でもそれを実現してくれていなかった……。
彼女の中の理想はいろいろあったんだと思います。でも、わたしはもっと遊びたいとか、スイミングのお迎えにもきてほしいとか。いつも一人で帰っていたので。その本を見たりして、「う〜ん」と思っていました。
あの頃は、母と一緒に妹たちを育ててきたと勝手に思っていたから、今の子育てはその経験をふまえてやっと本番という感じかなあ(笑)。
それに、自分が子どもを産んだことで、母親の人間っぽいところが理解できるようにはなりました。こどもの理想を母親に押しつけている部分はあったかなと思っています。
<Vol.2へつづく>
撮影:モギヨシコ インタビュアー:田畑千絵 文・編集:たかなしまき
Profile
みきかよこ
助産師。1985年東京都出身。2007年、慶應義塾大学看護医療学部卒業。翌年、東ヶ丘看護助産学校にて助産師の資格を取得後、修了。その後は、国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)の産科病棟に助産師として約2年間勤務。退職後はツアーコンダクターとして半年間勤務した後、2015年2月に長女出産。現在は、占星術師ほともこさんと活動しているワークショップ「おっぱいと星」ほか、夫であるパンクイラストレーター・絵本作家、中垣ゆたかさんの個展ポスターデザインなどを行う。看護師、保健師の資格ももつ。
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